星座の会の皆様ご無沙汰しております。 昭島市の桒原哲夫です。
先日、齋藤正道さんよりE-mailがあり同じ年代に当たる齋藤昭さんが亡くなったとの連絡を受けました。
連絡有難うございました。
昨年の暮れに久々振りに昭さんよりメールが届き日本をもう一度旅行に行きたい等の簡単なメールでしたので私も今年の年頭に日本での新型コロナウイルスの感染状況など記し、またSão Paulo近郊のVinhedoの彼の別荘には時々行っていますか?と尋ねるメールを彼に送信しました。その折りには体調が悪いとかそれ以前から体調が優れなかったとの記述はなかったし別荘の件の返事もないので毎日のんびり悠々自適の暮らしているものと推測していましたが、突然の死亡の連絡でしたので大変驚きビックリしております。
糖尿病を罹っていたとの知らせも相模原市の大橋さんから又聞きしました、ただ年齢的には70歳代の前半でしたし現在では良い薬もあるのでしょうから糖尿から来る心疾患としても残念でなりません。帰国後は一回も会う機会は有りませんでしたが心よりご冥福をお祈り申しあげます。
彼とはRio de JaneiroのStandard社において1978-1979年の頃に1年余り、PC1000の試験行程に電算機を導入したCOBIT班で試験をしていました。また次世代の電子交換機納入に向けて力を入れていた時期でフランス方式のアナログ交換機メタコンタの社内学習にも参加していました。
この社内学習には森下さんも参加していて現場の仕事を2時間余り早く切り上げ工場の一角での講習でしたが、その後政府の方針でデジタル式の電子交換機の採用が決まりこのアナログ式の電子交換機の計画は没になってしまいました。
こんなこともありSão Pauloに移ってからも何となく話しやすくいろいろな場所に行く場合彼を誘うことも多く、今回家中のアルバムを探して見たら意外と多く彼の写っていた写真が見つかりました。その中の主立った写真を今回添付しますので川崎さんも書いていましたがいつもニコニコしていた彼を偲びたいものです。
話は変わりまして1990年のRioのカーニバルに合わせて車で妻と二人で懐かしいRioを訪れることにしました。 Rioに着いてCopacabana海岸など回ったあと、久し振りにCorcovadoの丘に足を伸ばすことにしました。そこで何という事でしょう、キリストの像の前で写真でも撮ろうとしていたら同じ飛行機でブラジルに来た京都出身の清水晴司さんと偶然巡り会えたのです。彼と一緒にいた人は日本からブラジルに旅行に来ていた姪との事でした。 その時の写真がIMG16とIMG17です。
São Pauloから出発してそれぞれのプランでRioに来てCorcovadoの丘を訪れた訳ですがもし訪れる時間が30分ずれていたり、もし訪れる日が一日早くても遅くなっても会うことは出来なかったことを考えると凄い偶然が何重にも重なってあそこで会うことが出来た訳です。日本でしたらどこかの居酒屋で乾杯でもやっていたことなのでしょうが20分余り話をしてそれぞれの旅路に向かいました。
アルバムを見返していると、この偶然の出会いがいまだ印象に残っていてこんな出会いは最初にして最後でしたので思わず書いてみました。
終わりにちょっとしたお願いなのですが、どなたかブラジルでの現場や生活の中で私が写っている写真を持っている方おりましたら暇な時にでもE-mailのAnexoとして送信してもらえませんか。こちらでもブラジルで撮った写真のアルバムが4冊ありA4型の小さめのアルバムも6冊余り有りますので希望する方がおりましたらいつでも連絡してもらえれば添付して送信したいと考えております。いずれ何年か先にはアルバム本体も写真も処分する日が来ますのでその前に連絡していただければ思い出話に有効に活用出来ると思っています。
日本では新型コロナウィルスの感染状況が収まらず、またイギリス型やインド型の変異ウィルスも拡散中でかつワクチン接種も現在人口の10%余りの中何故オリンピックを開催するのかと、もめている最中です。国民の健康を考えれば中止が望ましく70%の国民は反対なのですが政府は何が有ってもオリンピックをやる様で恐ろしい気もしますし政府はIOCに言われっぱなしで外交力の弱さが目立ちます。
では今回はこれで失礼します。
2021 06 03 Tetsuo Kuwabara