top of page
講演 毛利律子様
3-毛利律子さん_edited.jpg

 今の百歳は初代百歳、

   しかし、未知の百歳  毛利律子

 

 第二次世界大戦後の世界的経済発展、先端医療の発展で、世界が大量の百歳越えを経験しています。

 今の健康な百寿者は、戦争で死ななかった。栄養失調、感染症で斃されなかった。高度経済成長のお陰で最高水準の医療の恩恵を十分に受け、旅行、食事、娯楽、趣味など貴族的な醍醐味を経験することができ、恵まれた家庭環境の中で初代百歳を迎えているということです。と、喜んでばかりはいられない。

 この超高齢化社会をどうしたらよいか。世界が史上初めての医療、介護、経済保障、社会的取り組みを経験していく。医師も専門家も分からないことばかりということです。

 

 これからの長生きは大変だ、

      厄介な時代に突入

 

 あくまで日本の高齢者の場合ですが、厄介で、深刻な問題が連鎖的に発生するのが、これからの高齢社会です。

 

 身近な問題としては、安心して暮らしたい、それでは誰と暮らすのが幸せか。

 じつは、高齢者ホームに入ってくれと頼むのは、実子とその家族の強い要望です。あるいは、子供家族に迷惑をかけたくないと、自ら進んでホーム入居をする場合です。しかし、国の政策は、今後、これまでのような大規模老人ホーム建設を削減するということです。また、深刻な空き家問題対策として、子供が施設行きを言われたら、「私は住み慣れた家で暮らすから、あんたがたが出て。若い人は柔軟性があるから」と言いましょうと、勧めています。皆さんもこの頃よくネットで目にすると思いますが、「老後は、夫婦だけ、あるいはおひとり様の暮らしが最高。介護はプロにお世話になり、プチ贅沢な小さな独り住まいを実現しましょう」という時代になってきました。

 

 2025年問題とは…

 

団塊の世代が後期高齢者になり、2050年には、死に場所難民、介護難民45万人、という現実に直面するのが2025年問題です。

 前述したように、国は施設を作ることを認可しない。ほぼ在宅、時々在宅の推進。病院は急性期、高度医療のみ。病院も増やさない、ベッド数も増やさない。

政府は、これから老人が増え続けるのに、様々なサービスを切り捨てる。

老人ビジネスはピンからキリまでで、うっかりすると、おれおれ詐欺、悪徳施設勧誘などなど、引っかかると、全財産を失う恐ろしい罠に落ちることに。高齢者を狙った怖い話が絶えない時代を迎えます。

 ですから、初代百歳に続く高齢者は、良き友、良きグループと共生して、切磋琢磨、晩年の最難関の山を、しっかりスクラム組んで超えていかねばならないようです。

 

 100歳だからできること

 

 今提唱されているのは、

 100歳でも仕事があれば最高。日給1000円でもいい。小遣い稼ぎをしましょう。

友達に誘われたら積極的に出かけること。

第二の義務教育の勉強を再開しよう。

高齢者が先生になって歴史を語る勉強会を主催しよう。

「過去の経験は今日の財宝」です。

進んで昔の出来事を語り伝えましょう。

ブラジル日系社会では、

「楽書俱楽部に積極的に投稿しましょう」、と呼びかけましょうか。

 「文章を書くということ」は、右の脳で感じたこと、見たこと、触れたことを左の脳で言葉、文章にする、という大変複雑かつ高度な作業です。それを、「活動的瞑想」と呼びます。

 パソコンの前で、ノートに向かって、私たちは抽象的世界を具体的に文章にします。大変な修行をして、最高な充実感を体験できるのです。これ以上の喜びがあるでしょうか。

 

 このたび、

 梅崎嘉明様の『歌集・草に置く露』

 坂本恵三様の『坂本恵三随筆集』

 松本正雄様の『在伯沖縄青年協会・着伯65周年記念式典』

をご恵贈頂きました。ありがとうございました。篤くお礼申し上げます。

 「書籍は一つの文化財」と言われますが。三冊ともまことに重厚で、歴史的にもぜひとも学び、遺さねばならない貴重な本です。これから、精読させていただきます。

 

 拙書『ソロー流究極のシンプルライフ』追記

 

 楽書俱楽部の皆様には、拙書『ソロー流究極のシンプルライフ』を購読いただき、心からお礼申し上げます。ここで、本には書けなかったことを幾つか要点整理してご紹介させていただきます。

 ソローは、日本の明治時代の人です。当時、日本からアメリカに留学した多くの知識人に影響を与えました。例えば教育者の一人例を挙げると、京都の同志社大学初代学長の新島襄、福沢諭吉など。アメリカ文学筆頭の作家ヘミングウェイがソローの文章を真似たということも有名です。

 ソローの清貧思想の根源には、19世紀半ば、急速に発展したアメリカ東海岸産業革命が社会を激変させました。資本家、成金という種族が雨後の筍のように生まれ資本市場民主主義・物質主義がアメリカ主義として生まれます。社会が大変革する中で、大量移民の生産従事者は奴隷のような生活を強いられました。最悪の条件下で寝る間もない強制労働でした。そこに結核の大感染が起き、ボストン市民の6割が感染しました。当時結核は業病、遺伝病という認識が強く、看護するのは家庭内だけ。結局家族もろとも結核になり、あちらこちらで遺体を燃やした、という記録があります。

 そういう中で人々は、衣食住のすべてに購買意欲を煽られ、狂乱して物を買い込む時代に突入します。ソローはこのままでは人間の社会環境を破壊すると思い、警鐘を鳴らしたのでした。

 

 本当の豊かさを知るためには生活を見直すための自己訓練が必要と考えます。中国の老子の思想から学び「少欲知足」の精神に基づいて、日常生活を見直し、無駄を無くそうと提唱しました。今日世界が物に溢れ、環境汚染は最悪の事態へ陥ったことへの先駆的警告です。

 次に政治への警告です。市民一人一人が賢く社会を、国を守らねばならない。そのためには、政府の悪政に対して非暴力不服従の精神を貫くことを『市民の抵抗』という論文にしました。この論文に強い影響を受けたのが、インドのガンジー、ロシアのトルストイ、キング牧師などの抵抗運動です。

 

 活動家は志のために死すべし

  ジョン・ブラウン

 

 ソローは45歳で結核でなくなりますが、その晩年に衰弱した身体で、一人の奴隷解放運動に身を挺したジョン・ブラウン活動家を熱心に支援し、各地で講演をして回りました。しかし、ジョン・ブラウンは反逆罪に問われ死刑になります。その時、ソローは彼が「志と名誉のために死ぬ潔さ」のために、助命嘆願を断固拒否します。ジョン・ブラウンは「この国のけがれは血をもってしかあがない得ない」と書き残して処刑台の露と消えました。事件翌年の1860年、リンカーンが第16代大統領に選出され、翌年には、ジョン・ブラウンが流血をもってしか解決できないとした奴隷制の問題をきっかけに、アメリカは建国以来初めての南北戦争という、国を二分した最悪の内戦に突入しました。

 その戦時中に兵士が歌った歌は、「ジョン・ブラウンの屍」ですが、それはアメリカの国民愛唱歌「リパブリック賛歌」となり、世界中で替え歌となり、日本では、「権兵衛さんの赤ちゃん」、「オタアマジャクシはカエルの子」、「太郎さんのあかちゃん」といった唱歌となりました。

 日本の歴史的大転換期の大政奉還・明治維新で、志のために多くの若き尊い命を懸けて近代化の幕を開けた時代と重なります。

  

 

 以上、拙い講演内容を要約させていただきました。皆様の益々のご健勝をお祈りいたします。

bottom of page