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昭和四十三年(1968年)十月三十一日発行の週刊現代の記事

 初任給20万の条件を出した外国企業
ひっぱりだこになった日本人技術者の値段
勤勉な日本人は何人でも

 

 秋晴れの一日羽田に二人の男が降り立った。ブラジルからきた一人の外人と、一人の日本人。搭乗者名簿によると、外人はモライス・ブラーガ、日本人は稲川恵一という名前である。「ミスター稲川、君のような腕のある日本人が、うまく集まるだろうか」 「関係方面には手を打ってあります。こちらの条件は好条件ですし、きっと大丈夫ですよ」ホテルに向かう車の中で、二人はこんな会話をかわした。

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日本の会社の年功序列」に絶望、七年前にブラジルに渡った日本人技術者(稲川恵一氏)が、ブラジル有数の大企業、スタンダード・エレートリカ社で百数十人の部下を持つ地位を獲得した。 同氏の優秀さを認めたス社では、第二、第三の人材を日本から物色中。初任給二十万円という高給に応募者が殺到したが、”ブラジル落ち“との陰口もある中で、応募者たちの胸中やいかに・・・・・

 ブラーガ氏はスタンダード・エレクトリック社(本社・ブラジル・リオデジャネイロ市)の人事担当重役、稲川氏は生産部検査課長だ。ホテルに着いてから、二人の動きは精力的だった。外務省、電電公社、海外移住事業団、それに電話機器メーカー、新聞社など、行く先ざきで”ブラーガ旋風“が巻き起こった。「一種の産業スパイじゃないか。世界第二位という日本の電話技術を盗む目的の」「まさか。ブラジル政府のおスミ付きもあるそうだ。それに、この好条件。魅力的だぜ」電話関係の技術者は浮き足だった。外国の会社が日本へ”人集め“にやってきた例は、これまでに何百件もあるが、ブラーガ氏がもってきたような大量求人と、好条件は初めてである。

 

① 自動電話交換機(クロスバー式)の設計、組み立て、据え付け、保守、検査などのできる 男子技術者。

② 募集人員は高校(工業高校電気科)卒四十人、大学(電気科、通信工学科)卒二十 人

③ 給与は高卒が月一千新クルゼイロ(約九万九千円)以上、大学卒が月二千新クルゼイロ 約十九万八千

  円)以上。ほかに期末手当、残業手当も支給。

④ 労働時間は一週間四十八時間で週五日制。年に十日~二十日の有給休暇。

⑤ 採用者は会社と五年間の雇用契約を結び、五年後に本人の希望しだいで再契約する。

 

  最初に、乗り気になったのが、ナンと外務省だ。万事慎重な外務省が、「こんどのように、わざわざ人事担当重役が直接やってきて、求人するのは異例です。会社はブラジル最大の電話機メーカーだし、仕事も、ブラジル政府の電話拡張計画にそったもの。それに条件がよい。大いに協力しますよ」(外務省移住課・河西徹郎事務官)とタイコ判を押したのだから間違いない。電電公社の職員をはじめ、電話技術者がワッと押しかけた。十月初旬までにざっと六十人の応募者があり、そのうち二十三人の採用が内定した。なかには、ミシン工場の工員までが「ミシンも電話機も精密機械でしょう。ちょっと勉強すれば、すぐやれる自信がある。ぜひ採用してください」とやってくる始末。「ミスター稲川をみても、日本人がよく働くこと、世界の常識。こうなれば六十人の定員にこだわらない。締め切り期限もつくらない。どんどん採用する」とブラーガ氏は予期以上の反響にほくほく顔で帰国した。

 このスタンダード・エレクトリック社はISE(インターナショナル・スタンダード・エレクトリック)の子会社で、イギリス、西ドイツなどヨーロッパ七カ国と、ブラジルはじめ中南米三国に工場を持つ電話機・交換機メーカー。ISEといえば、わが国の日本電気、住友電工などの大株主で、ITT(インターナショナル・テレグラム・アンド・テレフォン)という世界企業の海外投資部門だ。三菱経済研究所に聞くと、「ITTは世界の大会社ランキング第二十一位のビッグ・ビジネスです。その全額出資の子会社だから、将来とも間違いはない。安心していいでしょう」(同所主任研究員・山崎清氏)とある。初任給二十万円を出しても、ビクともしない会社であることは確かだ

 

 見事な転職作戦“国際版”

 ここで、ブラーガ氏についてきた稲川恵一課長(32)を紹介しょう。こんどの“人集め劇”の主役は、案外ブラーガ氏ではなくて、稲川氏であったかもしれない、というのは、ブラーガ氏もいうとおり、スタンダー

ド社ただ一人の日本人である“ミスター稲川”が優秀社員だったから、日本人社員をもっと集めようという方針が決まったのだ。

 稲川氏は甲府工高を出て電電公社静岡電話局に勤務した。「日本の会社は、すべて年功序列。若いもんがどんなに働いても給与は安く、しかも学歴偏重。たとえ大学を出ても、一流大学でなければ、出世できない」(稲川氏)ことを知った。そこで、学歴も学閥も問題にしない国で仕事をしようと決意。昭和三十六年、海外移住事業団の世話でブラジルに渡り、サンパウロ郊外の郊外電話会社に就職した。「二ヶ月めに、電話修理工場のチーフ(部下五人)に昇格し、三ヶ月めにベ・ア交渉をした。ブラジルは団体交渉でなく、個人が交渉する。おかげで10%上がったが、それでも同僚のドイツ人やイギリス人より低いので不満だった」六ヶ月目にウジミナス製鉄所の求人募集があった。ウジミナスといえば、日本の八幡・富士など大製鉄会社が出資してブラジルにつくった会社だ。そこの工場と、住宅に電話網をつくる仕事だ給与もよい。稲川氏は「自分を高く買ってくれる会社に」さっさと移った。「一年半で、電話架設の仕事もほぼ終わったので、つぎの仕事先をさがした。

   ブラジルには三つの電話機メーカーがあり、三社とも当たってみた」三社とはシーメンス(ドイツ系)エリクソン(ベルギー系)それにスタンダード(アメリカ系)だ。三十九年四月、月給十万円でスタンダード社と話がまとまり半年後に電話機検査の主任に昇格して月給十二万円。「本年一月に課長になり、月給も二十万円です。それにブラジル式のボーナスがあって、これは一ヶ月分」転職作戦の“国際版”である。はじめの郊外電話会社が三万円、つぎのウジミナスが六万円、そしてスタンダードが十万円、四年後に二十万円と、この転職作戦はみごと成功だ。

 稲川氏がもし、あのまま電電公社に残っていたら、どうなっていたか。電電公社任用課の話だと「地方採用なので、どういう人か本社ではわからない」という。本社で知られないようでは出世はおぼつかないだろう。いまの稲川氏のように、百数十人の部下(もちろん大学出もいる)を持つ課長には、もちろんとても、とても。 そのうえ「彼がつつがなく勤めていたとしても、月収は税込み四万五千円ぐらい」(同任用課)にしかなっていない。いまの稲川氏は、会社の近くのマンションと、そこから三十分ほど離れた海岸に別荘を持っている。車はフォルクスワーゲン68年型だ。週五日制だから、独身の稲川氏は週末には底抜けにレジャーを楽しむ。こんな稲川氏が“生き証人”として、こんどの求人にやってきたのだから、デモンストレーション効果は最高。第二、第三の稲川氏を目指して、どっと技術者が応募したのも無理はない。「そんな地方採用の人は知らない」という電電公社任用課の職員でさえ「スゴイなあー、二十万円といえば、うちの理事クラスじゃないか」とタメ息をもらしたのである。

 男はブラジルで勝負する

 そこで第二、第三の“ミスター稲川”を目指す人たちに、スタンダード社応募の“ソロバン勘定”を公開してもらおう。ソロバン勘定などというと、怒り出す人もいる。「十万円とか二十万円とか、給与そのものにひかれたわけではありません」というのは東京都内の電話局に勤めるS氏(36)だ。S氏は専門学校卒(高卒後電電公社の教育機関・鈴鹿通信学園を卒業)で、応募の動機は、数年前から海外行きをねっらていた。ねらいはアメリカだが、その足場としてまずブラジルでもよい。技術革新の時代で、日本だけで井の中のカエルになりたくない。それに学歴無用、実力本位というのも魅力」だそうである。

 すでに採用が決まった二十三人のうちの一人、田中公氏(26歳=和興通信工業勤務=大卒)も「目先の高給にひかれたのではない」と強調する。電話技術者の将来を考えたうえでの、こんどのブラジル行きだ。「国内の電話自動化は四十七年でほぼ完成する。そうなると、われわれ民間の電話保守、修理業者はメシの食いあげになる。ジワジワと尻すぼみだ。いまでも工事単価は下がる一方で、いいかげんくっさていた。その点ブラジルはこれからという。技術者も不足している、バリバリやってきます」というわけ。 

 横浜の大手通信メーカーの N氏(46)は、大企業の係長というポストを捨ててブラジルに渡る決心をした。 N氏の不満は、前述の田中氏とは逆に「大企業という組織のなかのコマにすぎない自分」にあった。四十六歳の転進とあれば、恐らくこのつぎはやり直しがきかない年齢だ。それだけに奥さんはブラジル行きに反対だが、N氏の決心は変わらない。「もう一度現場で、自分の技術をすべてぶっつけてみたい」 N氏は高専出身で、この二十数年間、学歴偏重、学閥横行の技術屋社会の苦汁を、いやというほど呑まされてきたに違いない。「高給が目当てです。このままでは自分の家も持てない」とズバリ。

 応募の心境を述べるのは電電公社の T氏(30)だ。 高校卒の T氏は、公社ではいくらガン張っても地方の電話局長どまり。しかも最近は、実力もない大学出が雨後のタケノコのように輩出し、地方局長も危ないかもしれない。おまけに月給は四万円足らず。「積極的なのは、マイホームづくりを願う女房のほうです。あちらで五年はたらけば百万円ぐらい貯まるんじゃないか」稲川氏にも会って念を押したが、きみの技術なら十分やれると激励され、ブラジル行きに踏み切った。 

 通信機メーカーとして日本有数の某社設計課員の K氏(24)は、独身の気軽さから「ブラジルには可能性がある」と、ごく気軽に応募した、「もちろん向こうも、アメリカ系の世界企業だから、大組織の歯車みたいな仕事かもしれない。月給は多くとも、物価が高いかもしれない。それでもいいんだ。少なくとも日本にいるよりは、なにかチャンスがある」以上、スタンダード社の求人に応募した人たちの声をランダムに集めた一部だが、その他の人も含めて、すべてに共通しているのが「男は一度勝負する」という気持ち。さてこのなかから、第二、第三、のミスター稲川が、何人でることやら・・・・・・・。

 

 待っているのは“楽園”か

 夢あり、期待あり、不安ありのブラジル行きだが、いったいブラジルのサラリーマン社会は“楽園”なのか。それとも「あちらは政情不安だ」とか「インフレ」がたいへんで、二十万円でも暮らせない」とかいう、一

部の声が本当なのか。 この点、外務省は、「ブラジルは四年前に革命が起こったが、いまは安定期だ。学生運動も日本のように激しくない。インフレといっても、物が不足したインフレでなく、生活に不自由はない。日常品の物価は日本と大差なく、月十万円あれは普通に暮らせる」(同省南米課ブラジル担当・岩瀬幸事務官)と巷のウワサを否定する。住宅事情も、大都市周辺に民間アパートがたくさん建っており、4DKで百ドル(三万六千円)が標準。現地人の常食は黒豆だが、もちろんコメもあり、結構うまい。 

 役所のいうことは信用できない向きには、三井物産の O氏(一週間前にリオから帰国したばかり)の経験を伝えよう。「工科系の大卒で、月七、八万円があちらの平均。それからみると二十万円は好条件といえる。物価は年四十パーセントずつあがっているので、かなり高いが、それだけあれば、所帯持ちでも、十分に生活できる」 日常品は比較的安く、カメラなどゼイタク品や、高級品になるとウンと高くなるお国柄だそうだ。 それよりも問題はビジネス社会の慣行で「期待どおり働かないと放り出されてしまう」(岩瀬氏)のが、あちらの常識。だから、五年契約といっても、実力を発揮しないでいると、月給は据置かれ、冷たく扱われることを覚悟しなければならない。 

 それに、ダレもが指摘するのは言語のカベ。言語のハンディから、もてる能力をフルに生かせず、落伍していった例が少なくない。あちらはポルトガル語だ。この言葉のカべについて稲川氏は、「独学でポルトガル語をやった。日本人とつき合うと、語学の妨げになるので、下宿を移して、いっさい日本人社会から隔絶した生活を送った。一ヶ月で話せるようになりましたよ」と。 つまり、一時的な出かせぎ根性でなくて、ブラジルに同化する気持ちでやることが、言語のカベを突き破る基本だと、稲川氏はいうのである。 

 電話事業そのものの将来性は間違いない。電電公社の話によると、ブラジルの電話は日本より一段おくれており、いまからクロスバー方式を全面的に採用する段階。なにしろ国土が広いので、事業計画も大規模で、仕事も増える一方。 海外移住事業団の大城斉敏理事は、ブラジルで成功するビジネスマンの条件として 

①明朗さと積極性(外地では、とかく孤独感やノイローゼになりやすい)。 

②物事をドライに割り切る。 

③どんな生活にも適応できる・・・・の三つは、最低条件だと強調している。

 

 いよいよ人材自由化時代

 さて、こんどの“ブラーガ旋風”で、いちばんの被害者?は、現在までに十人も技術者を引き抜かれた電電公社だが、おもしろいことに公社内の意見は賛否両論だ。賛成派の一人、依田貞夫調査役は、「若い人が世界に飛躍するいいチャンスじゃないか。向こうで骨を埋める覚悟でやるなら、夢があっていいよ」 と激励すれば、反対派の某調査役は、「月給は高いといっても、あちらの会社は健康保険もない。病気になったらたいへんだ。その点 公社におれば心配ない」と、ともすればブラジルに向きたがる社内の空気を、懸命に押さえている。

 日本生産性本部の鈴木博氏(経営評論家)は賛成派だ。「大型ジェット旅客機時代ともなれば、汽車で鹿児島へ行くより近くなる。大げさに考えることはない。高給で優遇してくれるなら、どんどん出ていって決して悪くないよ」  小林薫氏(経営評論家)も、「同じ外地へいくなら、後進国のほうが苦労のしがいがある。先進国のように人種差別はないし、日本人は尊敬される。能力は明らかに現地人より日本人が上だから、努力すれば重役にもなれる」 ともっぱら広大な新天地の可能性を讃えている。 一方、反対論も根強い。亀岡大郎氏(経営評論家)は、ブラジルへ行ってもメリットなしとの意見だ。つまり、「電話は向こう十年、技術革新の時期。アメリカやドイツにいくなら先端技術の修業になるが、ブラジルでの五年間はブランクにならないか。帰ってきたとき、使いものにならぬ技術者にならなければよいが・・・・・」 

 こうした賛否両論のウズ巻くなかで、スタンダード社の採用決定者は、早ければ十一月中にもブラジルへ出発するのだが、間違いないのは「スタンダード社の成功をみて、同じくブラジルに子会社を持つGE社ウエスチングハウス社など世界企業が、どっと日本人技術者の大量スカウトにのり出してくる」(ダイヤモンド社外国部長・石川博友氏)ことだ。それでなくても、海外移住事業団(TEL359-8280~9)や、民間の人材銀行には、世界各国から求人依頼が集まっている。たとえば、海外移住事業団には、アルゼンチンからは日系企業辻商事(陶磁器)から、機械技術者(工場管理)と経理技術者(電算機経験者など)計十人の求人。また、カナダからは、機械技術者(TV・ラジオ関係など)を中心に、現在五十人~六十人の求人、「待遇は月二十日勤務として約十九万円」(同事業団)という好条件だ。

 このほか最近はコロンビアからの技術移住者募集もきはじめているが、なんといっても中南米ではブラジルの求人が盛ん。昨年は百九十三人もの技術移住者が海を渡った。現在もメカニカペサーダ社(船舶用ジーゼルエンジンなどの重機械生産)から旋盤関係の技術者。エルジンミシン社からは機械設計技師など三十人~四十人の求人中。 民間の人材銀行・ケンブリッジ・リサーチ研究所へは、イギリスからは石油化学関係、アメリカからは機械設計関係の技術者。いずれも月収三十六万円という好条件もきているという。

 このほかにも「韓国、台湾、ザンビアなどからも求人がきており、ザンビアの場合、化学工場の技術者で、月給二十~三十万円。工業関係の大学卒で実務二年以上の経験者なら、百五十人までお世話できる」(所長・今井正明氏)という盛況ぶり。 いよいよ世界的な人材の自由化時代に突入するのは必至だ。そこで、最後に今井氏が結んでくれた。 「これからのビジネスマンは、社内の人事交流などと細かいことをいわずに、国籍を度外視して、自分をもっと有利に売りこむことを考えよ」

海外移住事業団の係員の説明に熱心に耳を傾ける“移住”応募者
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日本人技術者を待つリオ市のスタンダード社
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