懐かしきグワルーリョス 1973年に居住開始
ブラジルの家の建て方
ブラジルの家の建て方は日本とは、やり方がまったく違う。まず土台は家の壁と柱が立つ場所の土を溝状に掘り、そこへ鉄筋を入れコンクリートを流し込む。柱になる部分は深く掘り下げ特に土台はしっかりと作り上げる。次に壁の立ち上げはコンクリート・ブロックを積み上げていくが柱になる部分は空けて置き、後から板で囲み鉄筋を入れて、コンクリートを流し込む。
このようなやり方で一階はコンクリート・ブロックで積み上げるが、二階からは土を焼いた中に空洞のあるレンガで積んでいく。それは写真の進行状態で解ると思います。
ブラジル人が家を建てる時は金持ちは別として庶民の人達は最初に土地を買い、何年か後で資金がある程度溜まると工事を開始し、資金が無くなると工事を中断し、何年もかけて家造りをする。日本のように早く完成させないとみっともないと言うようなことは全然思っていない。
私の近所に家を建てた人は5年間もかけて、材料を少し買っては工事をはじめ無くなれば中断というやり方でようやく完成させたました。材料は主に砂、石、セメント、コンクリート・ブロック、煉瓦、鉄筋で木材は屋根の瓦をのせる部分に使うだけです。そのためか、ブラジルでは火災が非常に少なく、何年間も、私達が住んでいる町で普通の家屋が焼けたのを聞いたことが有りません。日本のニュースでは火事が多くその度に死者が出ているのを見ますが、やはり家の建築に木材が使用されているのが原因だと思います。
ところでブラジルでは1階のことをテッヘオ(Terreo)と言い、2階のことを1階と言います。下の写真の説明では日本流に1階、2階、3階と言っています。大抵の家には屋根裏に大きな水のタンクを備え付け断水に対処しています。水道と下水道は普及しており、水道料金に下水道料も含まれています。ガスは市内は都市ガスでそれ以外ではガスボンベを使用していて、朝、ガスボンベ売りのトラックが静かな音楽を鳴らして、知らせながら走っています。電話、電気は勿論あり。TV用のケーブルもかなり普及しています。
この家の工事が始まったのは私達の家の前の公園の横の土地なので暇を見ては写真をとり続けましたが。工事は2年間も続き私達は2006年にサンパウロに転居したので最後の完成までは撮れませんでした。
↓2003年12月22日、土台の上にブロックを積み上げて柱の部分に鉄筋を置き板で囲む用意をしている。

↓12月30日、板で囲んだ所にコンクリートを流し込みブロックとブロックの間をつめている。

↓2004年1月10日、柱の部分が大分出来てきた。

↓1月22日、柱の上部に2階の床を張る用意が出来た、後はコンクリートの流し込み。

↓2月8日、2階の床のコンクリートも固まり2階の壁の立ち上げの開始。力のかかるところはまだコンクリート・ブロックを使っている。

↓2月29日、2階の壁が大分積み上げられた。

↓3月16日、2階の壁もほぼ出来上がり3階の床の用意をしている。

↓4月17日、3階の壁の積み上げ。

↓4月21日、3階の壁の立ち上げ継続中。

↓5月2日、3階の柱の組み立て。

↓10月20日、5月から10月まで資金切れのためか工事は中断していた。3階の天井の工事中。

↓11月9日、4階まで伸ばすのか鉄筋を上に出している。

↓4階ではなく屋根の用意に入りました11月20日

↓11月28日屋根の形が見えてきました。

↓2004年12月27日前方の壁にセメン塗りつけ。

↓2005年2月18日屋根の取り付け開始。

4月1 0日屋根瓦の取り付け完了窓枠も取り付けられた


↓7月17日ベランダとか出窓の屋根も取り付け完了

↓9月4日 1ヶ月以上経ったのにあまり変わっていませんな~

↓あれから3ヶ月、もう12月になりました。外回りも殆ど出来上がりました。


さてさてこの家の工事完成はいつになるのやら、工事始めてから今日は2005年12月25日で建て始めから丸2年になりました。この後私達はサンパウロの市内に転居しましたので完成までの写真は撮っていません。
↓でも完成すれば大体このような家になると思います。前の公園の周囲に建てられた家々。1973年に私達が住み始めたこの辺りは広い野原でのんびりとした田舎の風景が見られましたが今、2005年には私達の家の周りの野原は無くなり家屋でぎっしりと詰まってしまいました。


↓その後あの家はどうなったのか興味があったのでグワルーリョスに行った時あの家の前で写真を撮りました。2010年1月の時は塀の作り替えの作業をやっていた。

↓2024年現在の写真です。グーグル・マップの写真です。今ではどの家でも有刺鉄線や高圧電線を張り巡らせて、昔と違って物騒になったものです。
