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懐かしきグワルーリョス 1973年に居住開始
新住居
グワルーリョスの日本電気に入社して最初家族はリオに残し、半年ほど単身赴任の状態であったが、そろそろ家族で住むところが必要になってきたので会社に近いグワルーリョスの街で住宅探しをした。色々探したあげくに購入した住宅は街の中心から少し離れた丘の上の周囲に未だ家屋が少ない土地で将来だんだん開けて行くような所だった。
家の前の道はまだ舗装がしてなく、道の向かい側は広い空き地で風が吹くと土埃がもうもうと立ちこめる西部劇の荒野のようであった。
住所は- Parque Renato Maia Guarulhos SP

写真のような家が横に10軒ほど連なって建っていて、一軒の家の幅は10メートル奥行25メートルで面積は250m平方。家の前と後ろに庭地があり少々の庭いじりが出来るような感じだった。
最初にした事は前の庭を囲っている木の低い囲いをとっぱらって鉄のグラージ(塀)を取り付けた。門は自分で煉瓦を積み鉄の門を付けた。右から三軒目の家、買った時には左の家のように低い木の囲いがしてあった。
前庭に芝を植え、廻りに小さい樹木を植えた。

リオからのムダンサ(引っ越し)も終わりようやく新居に住み始めた頃。








裏庭に池を作って鯉を飼った。



1年後ぐらいに、前の道の舗装が始まった当時の写真。

何年か後の家の前の情景。植えた木が随分と茂りました。

その後、家の裏側の隣接した土地が未だ空いていたので持ち主と交渉して2ロッテ分幅23mx奥行25m=575m平方を購入しその半分の土地にガレージと物置二間を作った。

ガレージの上から見た裏庭、前の住居との通り抜けの扉を作った。

庭作りに疲れて一時休憩の時。

自作のシュハスケイ ラ。


庭に石を並べ芝を張り草花木を植える。

ガレージの横から見た庭の様子。大分形が整って来た頃。未だ土地の半分(250m平方)の方は整地が出来ていない。後の楽しみに残した。

ガレージの上の鉄柵の取付も完了。向こうにバーベアグリン鉄鋼所が見える。
此の時期には前の家の空き地にも随分と住居が建ち、以前の様に風が吹いても土埃が舞うようなことは無くなった。

1991年の1月からガレージと前の住居との間にある空き地に新しく二階建ての家を建てる事にした。
間取り等大まかな設計は自分でして、後は専門家にまかせた。工事期間中は色々な問題が出たが最終的にはほぼ自分が考えていたような家が完成した。屋根の上には太陽光熱湯沸かし器も取り付けた。
家の建設中の写真が1枚も見つからない、数年後植えた木々がもう大きくなった頃の家

1994年10月には左側の土地にも家が立ち並んだ。


写真の左側の木はアバカテの木で3年ぐらいで大木になった。
この木はサルスベリ。


右の木はパイネイラ、道端に1メートルくらいで折れたまま捨て てあったのを拾って来て植えたのが大木になった。






ガレージの上から見た向こう側の丘、Timoteo Penteado通り。


ガレージの前の庭に藤棚を作ったが、日本のように綺麗な花が咲かなかった。


写真の右側の木はスイナン赤い花が咲く、木は桐の木に似ている






公園造成の為の整地開始。この土地は以前草ぼうぼうの野原で犬を連れて良く散歩に行ったものだ。下のParque bosque Maiaまで未だ一軒も建物は無かったが今はもう建物でぎっしり詰まってしまった。


市が前の空き地を公園にする為整地を始めた。

完成後の公園、我が家が見える。

公園で遊ぶ孫達。





最初に住んで居た家は、息子たちが結婚をした時に譲ったが、その後孫達も生まれて狭くなり2階建てに改築した。
前庭と玄関の入り口。

玄関内側

サーラの外側。

屋内、サーラ。

2010年1月頃の家の写真。


二階の一部外側

屋内、サーラの一部

コンピュータ室

現在2024年1月頃の家の写真。最初の家からすると随分と変わったものだ。時代の流れを感じます。

その後何年か後、息子たちはこの家を売り他の地域に転居した、
私達もこのグワルーリョスの家を売り、2006年にサンパウロ市内へ転居しました。グワルーリョスには33年間住んだことになります。
この家も2006年に売った後何年かして随分変わっています。

2010年1月頃

2023年10月頃

2011年1月頃

2024年2月頃

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