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   小野寺 郁子(いくこ)  

 クリスタールの器

 それはもう、かなり以前のことである。近くの友人宅で時々文章会があり、私もメンバーの一人として参加していた。その日、私はお茶菓子にとキウイ入りの寒天を一皿持っていった。大して手間のかかるものではないけれど、丁度真夏だったのでデザインの良いクリスタールの器に緑の寒天は涼しそうで、器も大そうきれいと、仲間達に褒められた。それは別れた隣人から貰った物である、次は、その日の私の文章。
 それは夫もまだ元気で、私も共に文房具店を営んでいた杳い日のこと。夕方、三百メートル程ある店から、晩餉の仕度にと、店を閉める時間より少し前に帰途についた私は家に近づくと、隣の事務所の二階でなにか人の気配がした。そこは出来上がったばかりのアパートで、そう云えば五、六日前からALUGA-SEの看板がはずされていた。(だれか借家人が入ったのだな)と思っていると突然 「春高楼
​(はるこうろう)の花の宴」 と、頭の上から男性のヴォリュームのある唱声が降ってきた。驚いて見上げてもベランダに声の主は見えなかった。姿は見なくとも隣の二階家に、日本人が入ったのだと、私は親しみを感じた。
 夕食後「隣の二階に日本人が引越して来たみたいよ」と、家族に話ていると、呼び鈴が鳴った。出てみるとポルトンの所に二人の見知らぬ白人の女の人が立っていた。一人は背の高い中年、もう一人の若い方が「今日、隣に移って来た者です。まだ水道や電気が来ていませんので、少しの間、使わせていただけませんか」と遠慮そうに言った。この人が日本人の奥さんなのかと思い、私は承諾して早速息子に電線を隣の二階の窓まで引いて上げるように言いつけた。

 私共がこの家に移転して来た時も同じ事情で、うしろ隣のブラジル人の奥さんに頼むと、快く水も電気も使わせてくれて、その上、マルテーロでもアリカッテでも要る物があれば貸して上げると、昨日まで見たこともなかった、奥地からやって来た日本人に言ってくれた。その時の感謝の気持ちがあったので、裏隣の奥さんに恩返しをするような気持ちが意識下に働いたのかもしれない。

 電気会社も水道局も二、三日の間に来て、二階の奥さんは礼を言いに来られた。そして自分達はアメリカから来た。夫は自然食品会社に務める人で、この度、ブラジルに会社が支店をだすことになり、その支店長として生まれ故郷のブラジルに派遣されて来たもの。夫の姉がこの近くのヴィラ・アントニエッタに住んでいるので自分達もここに住むことになった。先日ポルトンにまで一緒にきたのがそのクニャーダ(義姉)(あね)と言われた。
 なあんだ! ご主人は日本人だとばかり思っていた私のアテは外れた。あの金髪のブラジル人女性が姉であれば、その弟も無論ブラジル人である筈だもの。するとあの唱声は?日本人の友達が手伝いにでも来ていたのであろうか。それから二、三日した日曜日の朝、庭木に水を遣っていると、またしても聞こえて来たのである 「花も嵐も踏み超えて、行くが男の生きる道」 今度は旅の夜風だ。レコードの霧島昇よりややテンポがゆるい、しかし充分に自分のものとした感情のこもった唱い方である(うまいなー)私はしばらくホースの水を止めて聞き入っていた。

 その翌日であったか、奥さんドーナ・レニーは、三、四歳位の男の子を間にご主人と連だって私共の店に買い物に来られた。ご主人はあの姉に似た、やはり背の高い目の青い人で、温厚なちょっと牧師のような感じの人であった。

「隣のビネーです、どうぞよろしく」

 流暢な日本語で挨拶されて、一度にあの唱声の疑問が解けた。アメリカの会社に多くの日本人の同僚がいて、ビネーは日本語の会話を覚え、更に勉強してマンガを読めるようになったのだという。ことに歌謡曲が好き、と言い足した。私達には日本語、奥さんにはポ語、そして坊やには英語と使い分けて話すので、店にいた他の客や店員が目を見張った。こうして親しい隣人としてのお付き合いが始まった。

「ビネーさん、歌を唱う時は大きな声で唱って下さいよ。レコードをかけなくて済みますから」

 私が言うと、
「あ、レコードと言えば宵待草があったら貸して下さい」と、彼。さすがに自然食品会社の支店長だけあって、一家は菜食主義で、肉もメリケン粉のグルテンとかで作った物を食べるのだとその肉を一皿持って来てくれた。あっさりとして、とてもおいしいのでその作り方を聞くと、粉を練って一晩、水に浸けておき、次の朝洗って、ナンとかして、カンとかしてと、聞くだけで私はもうお手上げした。それでビネーに逢うと「あの肉はおいしいですねえ。実においしい」と褒め上げることにした。以心伝心でビネーは時々その手数のかかる植物性の肉を一皿持って来てくれた。そして「つけものない?」などと言う人であった。でも、その楽しい付き合いは、三、四年程しか続かなかった。

 本社からの指令が来たのか、または(ブラジルは良い国だけれど治安が悪いね。それに教育の程度が低いのが困るねえ)と言っていた彼自身の意思によるのか、あまり詳しい事は明かさないで、私の手にこのクリスタールの器を一つ置いてビネー一家は、またアメリカへ行ってしまった。

(楽書倶楽部一周年記念号 二〇一一年四月十五日より)小野寺郁子

荒城の月(こうじょうのつき)
旅の夜風
宵待草
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