我が思い出の歌
「我が思い出の歌」の、サイトができました。それぞれの方たちが思い出の歌に添えて、それにまつわるエッセイを投稿し始めています。ある時は投稿者となり、またある時は視聴者となって楽しんでおられますね。今のところ、8名が投稿されていますが、何と、もう1000回の視聴を超えたそうです。
このサイトは語りかけてくる人と歌が、一つになって血の通った番組となりました。担当の石田さんは、どんなエッセイも喜んでこのサイトに、載せてくださいます。短いのでも長いのでも……
今度はどなたが、投稿されるのか楽しみなものです。
そういえば私にも、呆れた思い出がありました。それを、書かせていただきましょう。私が小学生のころ、父の働いていた田川市役所の運動会が開かれました。会場は少し町(まち)はずれで、ちょっとしたフットボールの競技場位もありました。数百名の職員とその家族は、その競技場を取り巻く観客席を陣取りました。そこは競技場より高台になっており、客席から眺めると人間が小さく見えました。
さて、色んなゲームが進み、ちょっと休憩の時間となりました。その時です、一杯ひっかけていた父は、その競技場へと降りて行きました。進行係に近づいて、マイクの前で何やら小競り合いを始めています。どうやら「歌を歌わせろ」と、せがんでいる様子。やがて係の男は父を突き放しました。すると父はその男を殴ったのです。それを見た5人の男たちが駆け付けました。しかし彼らも又、酒をひっかけているらしく父の行動を止める者と、反対する者に分かれ殴り合いとなったのです。
福岡県の田川市は、(ヤクザの多いところでサッパリした人が多かった) あの「柔」。(やわら)。という歌のように、口より手の方が早いのです。すると今度は、会場全体から数十人づつ降りてきて、あっ! と、いう間に150人位の規模となりました。ところが、この男たちも各グループに分かれ始め戦場と化してしまいました。20組くらいになって、それぞれ激しい取っ組み合いが始まったのです‼
お天気は寒からず、暑からずで、全員の服装は軽快な動きやすい物を身にまとっている。おまけに一杯飲んでいる。これでじっとしている方がバカです。この際、職場で心よく思っていない相手をヤッツケル好機なんだなと、私は、子供心なりに感じました。不思議なことに警察は来ませんでしたし、私も来なければ良いが…と、この迫真に満ちたスリルを味わいました。広い舞台は怖い反面壮観で、現代版関が原の合戦でした。懐かしい思い出です。
張本人の父ですが、いつも風通しの良い、縁側に座って歌っていました。「支那の夜」「異国の丘」 「ラバウル小唄」 などで、近所の人たちは「あんたがたの、おいさん (おじさん)。 歌手やったとかね?」と、私に聞きました。子供の私には「父、(とう)ちゃん、歌は旨いんやろか?」と、わかりませんでした。