
我が思い出の歌
思い出の歌 清水晴司
戦時中、爆撃を避けるために疎開先を転々と移り歩き、ようやくたどり着いたのが空襲の被害がほとんどなかった京都です。食糧難の中5人兄弟の末っ子として、1947年いわゆる戦後の団塊世代と呼ばれる時期の初年度に生まれました。父親が若くして病気で亡くなり、貧しい生活を送りながらも、母親の内職を兄弟姉妹で手伝った事を今でも鮮明に覚えています。
京都で生まれ京都で育った私には、1969年21歳でブラジルに移住するまでの幼年期から青年期の思い出がぎっしり詰まった街で、正に私の心のふるさと、それが古都京都です。この時期の思い出の中には、歌や音楽にまつわるものも数多くあります。この度、石田様のお誘いを受け、私なりに『私の心に残る思い出の歌』をまとめてみました。という訳で、先ずはふるさと「京都」についての思い出の歌から。
「京都」
次の曲中の歌詞で語られるそれぞれの場所や地名は、比較的家の近くに位置しており、何度も行ったことがある所ばかりで、動画を観ているとまるで手に取るように今でも懐かしく思い出されます。ただ、なぜか失恋の歌ばかりになってしまいましたが。ふるさとを思い浮かべるに相応しい歌となりました。
『女ひとり』
『京都慕情』
『京都慕情』
「クラシック音楽との出会い」
小学6年生の卒業式が真近に迫る時、風邪をこじらせ一週間程学校を休むことになりました。なんとか快復し卒業式に間に合ったのですが、当時の定番形式の卒業式では、5年生が「蛍の光」で卒業生を送り出し、6年生は「仰げば尊し」を合唱するのが普通ですが、なぜかあの時の卒業生は「よろこびの歌」を合唱しました。素晴らしく、心の奥底に伝わる曲で、なぜか歌いながら嬉し涙が出たことを今でも覚えています。後に(社会人になったころ)この曲がいわゆるベートーベンの「第9」であることが分かりました。
『歓びの歌』
『歓びの歌・サプライズ』
同じころ、兄が借りてきたレコードの中に、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」があり、これがクラシックとの最初の出会いとなりました。(第1・第3楽章も素晴らしいです)
『新世界交響曲第4楽章』
『新世界交響曲第2楽章』
「素晴らしい映画音楽」
中学生になったころ、超大型映画の流行時期を迎えました。アカデミー賞という言葉もこのころから耳にするようになった時代です。姉に連れられ多くの洋画を観る機会がありました。
あの当時の撮影の為のオープンセットは今と違いトリック映像技術がそれ程進んでいなかったと思います。しかし、それがかえって映画そのものに迫力を付け加えたのではないでしょうか。今回お誘いを受けたことで、今まで以上にYou Tube検索をした結果、60数年ぶりに再会した映画シーンも楽しむことが出来ました。以下私の思い出の映画音楽です。
『ベンハー①』
『もののけ姫』
『ウエストサイド物語①』
『ウエストサイド物語③』
『ヘヤー①』
『ベンハー②』
『スーパーマン』
『ウエストサイド物語②』
『ウエスト サイド物語④ Somewhere』
『ヘヤー②』
「ビートルズ」
青春時代を過ごした中学校や高等学校、このころは世界中でビートルズ旋風が巻き起こり、私も彼らの音楽に熱狂した一人でした。天才的なメロディーは今でも多くの音楽家や交響楽団に多様な形で引き継がれています。
『ビートルズThe Long and Winding Road』
『ビートルズYesterday』
『ビートルズHere There and Everywhere』
『ビートルズA Hard Days Night』
『ビートルズメドレー①オーケストラ』
『ビートルズメドレー②オーケストラ』
「ボサノバ」
社会人になってからは、なんとなくお酒に合うボサノバやジャズ音楽を楽しむようになってきました。特にボサノバは私が渡伯を決めた一因でもあります。「イパネマの娘」を聴くうちにイパネマの海岸がどんなところか、実際にこの目で見てみようと思い立ったのです。もちろん、すぐに日本に帰るつもりでしたが。
『ボサノバ・イパネマの娘』
『ボサノバ・Insensatez』
『ボサノバ・コルコバード』
『ボサノバ・Meditação』
「童謡」
私たち日本人や日系人の心のふるさとと深いつながりがあるのは、遠い昔に歌ったり聴いたりした童謡ではないでしょうか。また、子供のころに過ごした田舎の景色と重なり合って、どの歌であっても、聴くたびになつかしい日本の風景が目に浮かびます。
ところで、突然ですが、日本の都道府県で祝日(休日)が他のところより1日多い所があるのですがご存知ですか?
『童謡①お江戸日本橋』
『童謡③浜辺の歌』
『童謡②もみじ』
『童謡④ふるさと』
『童謡⑤メドレー』
「沖縄」
6月23日は何の日かご存知ですか。太平洋戦争末期に約22万人もの犠牲者(米軍人1万人・日本軍人と民間人合わせて21万人)を出した沖縄戦の終結の日です。この日は慰霊の日としての行事が行われ、従来の日本の祝日以外に沖縄では休日となります。
1945年のこの日、もしこの時点で、このまま続けていても勝ち目のないこの戦争に終止符を打って降伏していれば、広島や長崎への原爆投下を免れたはずではなかったかと、沖縄訪問以来思い続けています。
2015年に私は妻と共に沖縄本島と石垣島に数週間滞在し、沖縄の古典文化や音楽それに何よりもきれいな海に魅了されました。