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我が思い出の歌
思い出の歌。 めおとの旅。 松本正雄。
楽書倶楽部愛読者の皆さま、新年おめでとうございます。 新年号ですので楽しかった旅の想い出を、三十年前のことですので記憶も薄れ詳しいことは忘れましたが思い出すままに書いてみます。
一九九三年後半、初めて夫婦で日本旅行に行った。出発前にJPパスも一週間分買った。まず郷里沖縄へ十日間過ごす。いよいよ日本への旅、千昌夫が歌う「めおとの旅。 作詞・いではく、作曲:千昌夫」が気に入ってよく歌います。
「めおとの旅の一番の歌詞」。
惚れたあんたの背中みつめ。
一緒に歩いて人生半ば。
今日は苦労をいたわりあって。
ちょいと幸せめおとの旅ね」。
と、まず妻の高校時代の女友達操さんに連絡、一週間の宿を頼む。彼女の家の近くに借りてあった大阪通天閣の近く、通天閣の商店街で操さんの旦那さんが八百屋を開いており、操さんはその隣で喫茶店を営んでいた。カラオケ設備もあって昼間から有閑マダム連が人生を謳歌している。
翌日から近辺観光。大阪は通天閣を始め市内観光。翌日は京都市内、観光バスの団体に加わって京都の名園を何か所も見学、実に美しく良く手入れされている。昼食は素晴らしい。美しい庭園を眺めながらの弁当は格別においしかった。
次の日は奈良へ。別に仏教徒ではないがお釈迦様を拝みに大勢の観光客に混ざってお参り。奈良は何とお寺のや神社が多い処か。国宝や重要文化財が三十三か所もあるそうな。寺内には数多くの仏様が鎮座しておられる。仏様も色々で口は裂け眼は今にも飛び出そうな怖い顔もあれば、本当に優しいお顔の仏様も立っておられる。東大寺の大きな大仏殿の木造建築、よくぞ造ったものだと昔の大工の
技術にただただ感心するのみであった。 その中に鎮座おわします大仏様、銅色に輝く大きな顔の仏様、座しているお姿は世界一でしょうね。もし立ったら、いや立たない方がいい、もし立ったら頭が屋上の天井にぶつかる。あんな大仏造るとは当時から相当技術は進んでいたようですね。
八十年前の日米戦、沖縄はあんなに破壊されたのに京都や奈良は被害がなく幸いでした。五日目の夜、原田操さんご夫妻に私達夫婦、それに有閑マダム四人と大阪のとあるクラブにダンスショーを見に行った。八頭身美人たちが踊っている。そのうち、客席に降りてきて握手したりしながら愛嬌よくふり回っている。男性客は少ない。私の方に手を置き耳元に何かささやいた、いい香りがする、有閑マダムはキャッキャッ騒いでいる。踊り子の皆さんは皆「中性」だった。
翌日荷物を操さんの家に預け、いよいよJRパスを利用しての旅の始まり。長野県飯田市に娘の大学時代の友達三人一緒にいるから訪ねるようにとのことだったので今夜は飯田市泊り。名古屋で乗り換え長野行き、電車の窓からの眺め、春の新緑の清々しさはまた格別なり。飯田市で降りる。彼女らが帰るまでにはまだ時間があるので引き返して天竜川下りの舟にのる。川の中に岩がごつごつ出てい
るので船頭二人長い櫂で水の流れにまかせて操っている。最上川舟歌のような民謡を歌う余裕などなさそうです。近年、福田こうへいの歌った「天竜流し」は筏でしたがここは舟でした。
翌日は松本城見学、水の満ちた塀に囲まれたこのお城は、近代高層建築とは異なり、悠然としている素晴らしい!!。大宮駅へ向かう途中の軽井沢の駅弁「釜飯」は旨かった。 夜十一時、東北新幹線「のぞみ」で北海道へ向かう。夜の帳は味気ない。外は暗闇続き、車中で一泊。札幌で観光バスに乗りビール工場やオリンピック場後などを見学。翌日は登別温泉で一泊、夕食に使われた皿はなんと十二、 何もそんなに小分けしなくてもいいのにと思ったが、 それが日本の食文化なればそれもまた良し。
熊農場の熊の自転車乗り、猿に劣らずうまく乗り回していた。また登別地獄谷、硫黄がぶくぶく噴き出ている。その匂い、シュラスコの匂いとは異なり吐き気がする。早々に退散、夜は温泉に浸り疲れを忘れてゆっくり寝る。
「めおとの旅の三番の歌詞」。。
子供育ててお嫁に出して。
しあわせ者だよ俺たち二人。
そうよ今夜はしみじみお酒飲んで。
祝いのめおとの旅よ。。
新幹線で東京へ、岡山経由で四国は徳島の鳴門へ。渡る鳴門大橋、日本の技術はタイシタモノダ。橋建設の映像、プロジェクトで見ましたが、難工事だったようです。鳴門に着いたら雨だった。鳴門には四国八十八か所めぐりの一番札所、霊山寺と二番所ご極楽寺があるそうですが、宿でテレビを見てから寝る。翌日は渦巻を見に、時間的に速かったせいか客は六名、渦の近くまで船を近づけたが、映画で見るような大きな渦ではない。船頭曰く、潮の引く十二時頃はもっと大きいと。鳴門海峡ちょっと波高し、そして大阪へ。
一応めおとの旅は終わり、北海道から四国まで旅したことになるが、いそぎ旅はあまり印象に残らない。次に旅する機会があれば演歌に多く歌われている日本海側、山口県から能登半島を廻って秋田まで行ってみようと思っています。夢ではもうすでに日本一周をしてきた(ニッケイ新聞ぷらっさ欄二〇一七年十月十日付)
一九九八年、二人して栃木県鬼怒川温泉に出稼ぎに行った時、日光の東照宮へ。戦国時代を終わらせた徳川家康公を拝みに、本当はあの有名は左甚五郎作品の「眠り猫」を見に。なんでも何年目かにその木彫りの猫、目を開いて泣くとか。それが本当なら世界広しと言えども左甚五郎の右に出る彫刻家はいないでしょうな、本当に神業です。また近くに三猿(云わざる 聞かざる 見ざる)もあり見事な彫り物です。タクシーで「いろは坂」を登り中禅寺湖まで行く。戦場ヶ原の男体山は古代のピラミットだったりして。中禅寺湖より流れ落ちる華厳の滝、高さが九十七mもあって日本一とか。巾は白いタスキが垂れている感じで可憐ではあるが、イグアス―の滝のような雄大さはない。まあ比較しないほうがいい。日本の大気は優雅である。白糸の滝、轟の滝、那智の滝など。日本の温泉を夫婦で旅できたことは一生の思い出となる。
「めおとの旅の二番の歌詞」。
泣いたぶんだけ 笑おじゃないか。
これから本当の 愉しむ暮らし。
過ぎた山坂 涙もみんな。
お湯に流そう めおとの旅だ。
めおとの旅
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